【つれづれ】願わくは桜のもとで死なむ

願わくば 花の下にて 春死なむ その望月の如月の頃

はじめて弔辞を書いたのは、
二十歳の頃でした。

不慮の事故で命を落とした同窓生や
30代、子育ての真っ最中に病を患ってしまった人の仏壇の前で手を合わせることになり、

人は長生きするものではないのだ、
と気づいたのがちょうどその頃でした。
それまで私が立ち会った死は、
90歳を超え、大往生と言っても良い曾祖母だけでした。
しかも、私はまだ10歳にもなっていなかったし、
その重さについて理解すらしていなかったのです。

どうやって老いて死ぬかについて、
そのぐらいからぼんやりと考えています。

そして春が来るたびに

西行の読んだ歌を思い出して、
今年も1年生きることができて良かったなあ、
と思いながら茶を啜るのです。

2018年3月現在、
いちおう日本は平和で、
私もほそぼそと暮らしているから

何事もなく寿命をまっとうするのなら
病院か自宅で、
ひとり静かに死んでいくと思います。
(今のところ独り身だし。)

死に際には
その人の生き様があらわれるといいます。
というとまだ若いのに!と言われるけれど。

来週からはまた天気が崩れるようだけれど、
梅の花も咲いているし、太陽の光はあたたかいし、
もう春、きっと春。